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「俺はな、日本酒の戦後を終わらせたいんだよ」

2017年4月27日
神亀酒造・小川原良征社長(通称専務)の告別式でした。もうただひたすらに悲しい、寂しい、辛いです。早すぎます。
アキモト酒店・秋元 浩 (Hiroshi Akimoto)さんのブログを、皆さんに読んでほしくてシェアします。
小川原良征専務と、長いお付き合いの秋元さんだからこそ書けた深い内容です。日本酒を純米酒へ。その功績は凄いのひとことです。私もそれは多くのことを学ばせていただきました。
私の最初の著書「純米酒BOOK」の巻頭部分も、小川原良征専務に取材させてもらって書いたのです。
神亀酒造の純米酒へシフトチェンジした経緯を、あまりご存知ない方は、是非「闘う純米酒」を読んでください。神亀酒造の全量純米に至るまでの壮絶記録集です。著者は上野敏彦さん。共同通信の記者で、全国の新聞に逝去の知らせを配信したのも上野さんでした。
◉「闘う純米酒・上野敏彦さん」を紹介した私のblog
http://www.yohkoyama.com/archives/48545
上野さんの記者魂に火をつけた小川原専務ですが、克明な記録だけに、出版停止してほしいと真剣に言ってました。(出版前、奥様から私にその件で相談の電話をいただいたこともありました)
なのですが!上野さんにあの時の専務のことを、しっかり聞き書きしてもらい、本の形で残してもらって本当に良かったです。
上野さんが言ってましたが、メモをとると口をつぐむ専務なので、取材はそれは大変だったそうです。専務をご存知の方は想像つきますよね。頭叩かれたり、おしぼり投げられたりしましたもんね。上野さんの記者魂も凄し!というわけで、「闘う純米酒」は何年も通って得た記録集の一冊なのでした。
___________________
以下、アキモト酒店・秋元さんのブログより抜粋させていただきます。(ぜひ、クリックしてブログの全文を読んでください)
「神亀の小川原社長の告別式に行ってきました」
http://blog.livedoor.jp/sakeakmt/archives/65776583.html
「まだ純米酒という言葉さえ一般的でなかった1970年代、東京農大を卒業して間もない小川原社長は、アルコールや糖類で薄められた日本酒は造りたくないと純米酒を造りはじめ、取引の酒販店を回っては陽にさらされ日付の古くなったものを回収するなど品質管理にも努めました。それでもアル添、糖添全盛時代ではなかなか売れず蔵在庫が膨らむ中で熟成酒が増え、その熟成酒の美味しさが世に評価され始め、日本で指折りの早さで全量純米酒蔵になりました。
その純米酒への流れを大きく加速させたのが漫画「夏子の酒」でした。夏子の酒の作者、尾瀬あきらさんを純米酒ファンにし、この漫画を描かせたきっかけを作ったのも、様々なインスピレーションを与えたのも小川原社長です。
純米酒蔵を目指すも厳しい道のりの蔵を後押しするために純米酒ファンドを立ち上げ、酒米の産地を育てるために四国・阿波山田錦に深く関わり、10年ほど前からは全量純米酒蔵を目指す会を立ち上げ、代表幹事となっています。
日本酒の輸出が盛んになってきているここ数年は、日本酒親善大使のように世界中を駆け回っていました。食があっての日本酒、特に神亀は味がしっかりしているので油やクリームを使った料理でも、肉料理でも相性が良く、日本を代表する蔵として大きな評価を受けていました。
というように、現在の日本酒シーンを築き上げてくれた最大の功労者といっても過言ではありません。
(中略)
私の日本酒との関わりに大きな影響を与えてくださった小川原専務(みんなに専務、専務と呼ばれていました)にはまったくご恩しかありません。
本当にお世話になりました。
ごゆっくり、安らかにお休みください。
合掌」
___________________
埼玉新聞の記事を丹沢山・隆醸造元・川西屋酒造店の露木雅一さんが送ってくれました。
下に貼り付けますので、どうぞ全文をお読みください。
「俺はな、日本酒の戦後を終わらせたいんだよ」
神亀の小川原社長の告別式に行ってきました
border=”0″ alt=”IMG_8694″ hspace=”5″ align=”left” /> 今日は、23日に亡くなった神亀酒造の小川原社長の告別式に出席するために埼玉へ日帰りしています。…
アキモト酒店  走る大地 踊る農業 歌う酒 -秋田県

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2017年4月27日
神亀酒造・小川原良征社長(通称=専務)の告別式でした。
もうただひたすらに悲しい、寂しい、辛いです。早すぎます。

アキモト酒店・秋元 浩さんのブログを、皆さんに読んでほしくてシェアします。
小川原良征専務と、長いお付き合いの秋元さんだからこそ書けた深い内容です。
日本酒を純米酒へ。その功績は凄いのひとこと。私もそれは多くのことを学ばせていただきました。

私の最初の著書「純米酒BOOK」の巻頭部分も、小川原専務に取材させてもらって、書いたのです。
神亀酒造の純米酒へシフトチェンジした経緯を、あまりご存知ない方は、是非「闘う純米酒」を読んでください。神亀酒造の全量純米に至るまでの壮絶記録集です。著者は上野敏彦さん。共同通信の記者で、全国の新聞に逝去の知らせを配信したのも上野さんでした。

「闘う純米酒・上野敏彦さん」を紹介した私のblog(是非お読みください!)
http://www.yohkoyama.com/archives/48545

上野さんの記者魂に火をつけた小川原専務ですが、克明な記録だけに、出版をやめてほしいと真剣に言ってました。(出版前、奥様からその件で私にご相談の電話も)
なのですが!上野さんにあの時の専務のことを、しっかり聞き書きしてもらい、本の形で残してもらって本当に良かったです。上野さんが言ってましたが、メモをとると、口をつぐむ専務なので、取材はそれは大変だったと。専務をご存知の方は想像つきますよね。頭叩かれたり、おしぼり投げられたり…。上野さんの記者魂凄し!というわけで、「闘う純米酒」は何年も通って得た記録集の一冊なのでした。
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会葬御礼は神亀酒造の純米吟醸「小鳥のさえずり」。米生産者は田中農場の田中正保さん。ラベルに酒米生産者の名前を入れたのは、これが初めてだと思います。田中農場は酒販免許を取り、お酒も販売→ http://www.farm-tanaka.jp/products_sake.html
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熟成させて出荷が基本
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以下、アキモト酒店・秋元さんのブログより抜粋させていただきます。(ぜひ、クリックしてブログの全文を読んでください)
「神亀の小川原社長の告別式に行ってきました」
http://blog.livedoor.jp/sakeakmt/archives/65776583.html

「まだ純米酒という言葉さえ一般的でなかった1970年代、東京農大を卒業して間もない小川原社長は、アルコールや糖類で薄められた日本酒は造りたくないと純米酒を造りはじめ、取引の酒販店を回っては陽にさらされ日付の古くなったものを回収するなど品質管理にも努めました。それでもアル添、糖添全盛時代ではなかなか売れず蔵在庫が膨らむ中で熟成酒が増え、その熟成酒の美味しさが世に評価され始め、日本で指折りの早さで全量純米酒蔵になりました。
その純米酒への流れを大きく加速させたのが漫画「夏子の酒」でした。夏子の酒の作者、尾瀬あきらさんを純米酒ファンにし、この漫画を描かせたきっかけを作ったのも、様々なインスピレーションを与えたのも小川原社長です。
純米酒蔵を目指すも厳しい道のりの蔵を後押しするために純米酒ファンドを立ち上げ、酒米の産地を育てるために四国・阿波山田錦に深く関わり、10年ほど前からは全量純米酒蔵を目指す会を立ち上げ、代表幹事となっています。
日本酒の輸出が盛んになってきているここ数年は、日本酒親善大使のように世界中を駆け回っていました。食があっての日本酒、特に神亀は味がしっかりしているので油やクリームを使った料理でも、肉料理でも相性が良く、日本を代表する蔵として大きな評価を受けていました。
というように、現在の日本酒シーンを築き上げてくれた最大の功労者といっても過言ではありません。
(中略)
私の日本酒との関わりに大きな影響を与えてくださった小川原専務(みんなに専務、専務と呼ばれていました)にはまったくご恩しかありません。
本当にお世話になりました。
ごゆっくり、安らかにお休みください。
合掌」
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埼玉新聞の記事を丹沢山・隆醸造元・川西屋酒造店の露木雅一さんが送ってくれました。
下に貼り付けますので、どうぞ全文をお読みください。

「俺はな、日本酒の戦後を終わらせたいんだよ」

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●毎日新聞の訃報より

小川原良征さん 70歳(おがわら・よしまさ<本名・祥匡=よしまさ>神亀酒造社長)23日、膵臓(すいぞう)がんのため死去。通夜は26日午後6時、葬儀は27日午後0時半、さいたま市見沼区深作934の1の東大宮葬斎センター。喪主は妻美和子(みわこ)さん。

蓮田市で江戸時代から続く蔵元に生まれ、東京農大醸造科で学び、醸造用アルコールの添加が主流だった日本酒業界に疑問を抱き、米と米こうじだけで造る「純米酒」の製造に取り組んだ。1987年から全量を純米酒に転換し、同じ志を持つ酒蔵と「全量純米蔵を目指す会」を結成し、代表幹事を務めた。

全量純米蔵を目指す会


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